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小浜

浜詰章さん

昭和17年生まれ。小浜旧港を基地とする釣り船「浜丸」船頭。25歳から遊漁船業をはじめた。もとは仕立て専門でキス、アジ、イカなどを釣らせていたが現在は乗合船がメイン。

マイカ呼ぶ夏の漁り火 名産アマガレにグジ タイならレンコが最高

「小浜(おばま)には白いうのんはないんや。赤ばっかり。まあ赤ていうのんも、あとからいいだしたんやけどね」

イカである。どうもイカはややこしい。平成16年度統計によれば、生鮮、加工品を合わせた日本のイカ類消費量は、全魚介類中トップの68万トンだったそう。かつて世界の総漁獲量の半分を食っているといわれた日本人のイカ好きはいまも変わらない。それほど好んで食べる超メジャーな海産物なのに、その呼び名が地方ごとにまるでバラバラだというのは不思議な話だが、裏を返せばそれは、イカが昔から地元で消費されてきたことのあかしかもしれない。

日本中でとれる。日本中の漁師がとる。地元の港に揚がったイカを地元の人たちが食べる際、地元で通用する呼び名があればそれでいい。ケンサキイカをスルメイカと呼びヤリイカをケンサキといい、スルメイカはマツイカと呼ぶという先月の宇和島みたいに。

ここは若狭の中心、福井県小浜。いまは赤=アカイカと呼ぶことも多いこの地のケンサキイカは、もとは真=マイカというのがふつうだったのだと語るのは浜詰章さん。そのイカを釣らせる乗合船浜丸の船頭である。

日本海のケンサキイカの呼び名は、シロイカ・アカイカ・マイカの三通り。これはぼくら釣り人にもおなじみの、白くもあり赤くもあり、そして「真」の字を冠するにふさわしい、おいしいイカである。シロイカと呼ぶ例は京都府以西、山陰地方の港に多く、特に鳥取・島根あたりでいうシロイカはブドウイカを指す。やや胴が短くてずんぐりしたイメージのブドウイカはケンサキイカの季節型(地方的亜種)とされる。

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マイカの釣り場は小浜沖8マイル。若狭のイカ釣りは夜釣りだ。集魚灯はひとつ2キロワット。浜丸には合計27キロワットのライトを搭載しているそう

いまは年間を通してイカ釣りをメインに船を出している浜丸だが、それはお客の要望によるものだという。キスやアジやタイを釣りにやってくるお客はめっきり減った。イカ釣りだけは昔と変わらず多い。おだやかな夏の夜、小浜沖には漁り火が、あかあかとともる。

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若狭ガレイに若狭グジは当地の二大名産だ。寒風でさっと干し上げる若狭ガレイの初期の材料はヤナギムシガレイ。これを小浜ではアマガレといい、その漁期が終わるとエテと呼ぶソウハチになるという。カレイの類はこれらのほか、アカガレイをアカガレ、メイタガレイをメイタガレ、ババガレイをバガレというふうに、最後の「イ」を省略して発音する。ぼくらの釣りのターゲット、マコガレイやマガレイ、イシガレイについては「ああ、そんなんもおるなあ」とひどく冷淡で、「カレー」と今度は語尾をのばしてひとまとめなのだそうだ。

グジというのはご存じアカアマダイ。一塩ものをウロコを落とさずそのまま焼くのが若狭焼き。グジの身の甘さを堪能できる食べ方だそう。ちょうどこれからが旬。みそ漬けもええけどやっぱり塩ふって焼くのが一番や、そらうまいでという浜詰さんだったが、実は、浜詰さんら地元の人が食べているのはションベングジなのだそう。底びき網に入る30cm足らずの小型グジをそう呼ぶ。延縄や一本釣りで漁獲された大物は1尾が2000円もする。「もったいのうて食えんねて」というわけで網に混獲された安い小物を食べる。それにしてもグジはグジ。ションベン…って。もう少し上等な呼び名をつけてやってもよさそうなもんですがね。

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JR小浜駅を背にまっすぐ海に向かったところに小浜旧港がある。夕方の出船時刻を待つ港はひっそりとしていた

塩焼きでおいしい魚といえばレンコと呼ぶキダイ。これはタイのなかでも一番うまいと浜詰さんはいう。単にタイといえばマダイを指すがこれがいいのは秋。いまの時期は食えたもんやないで、とボロクソだ。桜の時分は腹がボテボテで身は水っぽい、いまの麦わらダイはスカスカだ。刺身にするならアジの方がよっぽどええ。そのマダイの子を紀州ではチャリコと呼ぶが、ここ小浜ではチャリコというのはタイ科のもう一種の魚、チダイの呼び名なのだそう。

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いまはチヌということも多い黒いタイは、小浜では標準和名通りのクロダイがふつうの呼び名だった。小物はチンタ。キチヌやへダイは見かけない。メバルはメバチ、その体色により金と黒に呼び分けた。どちらかといえばキンメバチの方が上等とされるが数は少ない。メバチとはメバルやカサゴ、ソイの総称でもある。似たような姿の魚はみんなメバチの類になる。


宇和島

岡崎忠生さん

昭和40年、宇和島港の入り口に浮かぶ九島に生まれる。小型旋網漁を行う漁吉丸の四代目親方。宇和島漁協プロジェクトリーダーとして宇和海の「すくいちりめん」と「伊達あじ」のプロモーションにあたる。

出世頭はヒラアジ ブリはハマチ止まりで スルメイカってなに?

海と山とのあわいの、曲がりくねって細い海岸道路を走りながら、なんでこんなに妙な感じがするんだろうと考えていた。初夏の空を映して海はたっぷりと青く、木々の生い茂った岬や島のたたずまいが美しい。白いまっすぐな航跡を引いて船が沖へ向かう。長いだらだら坂を上りきったところで車を降り、ゆっくり眺め渡してやっと気がついた。この海には浜がない。

複雑に入り組んだ宇和海(うわかい)の沿岸は、どこでも岸からほんの200mも離れれば、もう水深は50m以上あるという。いきなりずどんと落ち込むこの湾に渚と呼べるような場所はほとんどなく、そういえばわれわれがイメージするような漁港も見当たらない。ここからここまでと波止で仕切られた船だまりはなく、たくさんの漁船は家の前の岸壁に直接もやいをとっていたり、木製の小さい桟橋に横付けされていたりする。さながら湾全体が一つの巨大な漁港といった風情なのだ。

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宇和海沿岸部は典型的なリアス式海岸。ドン深で波穏やかな湾内にはたくさんの養殖生け簀が浮かぶ。かつて真珠、マダイの生産量日本一を誇った海だ

深く、潮通しのいい海には、たくさんの生け簀が浮かんでいる。かつて日本一の水揚げを誇った真珠、マダイの養殖はいまも盛んだ。「とる」漁業から「つくる」漁業へと盛んにいわれた時代、宇和島はその先進地であったが、いまはそこから「売る」漁業へ、もう一段の進化をしようとしているところだと岡崎忠生さんはいう。

鮮度と品質を長持ちさせる独自の締め方を施した「伊達(だて)あじ」と、とれたてを船上で氷で締めた「すくいちりめん」を二大天然ブランド魚として広く周知することをめざす宇和島漁協プロジェクトリーダーの岡崎さんは、そのアジをとる小型まき網漁の四代目親方だ。

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「伊達あじ」とはもちろんかつての宇和島藩主、伊達の殿様にちなんだ命名だ。宇和海の瀬つきの黄アジを締め、鮮魚および開いて一夜干しにしたものにその名を冠して販売する。

アジのまき網漁は、本船(網船)と灯火船、運搬船の3~4隻が船団を組み夕方出漁する。漁場へ到着すると灯火船が海中に集魚ライトをつるす。その船を囲い込むように船を回して網を入れる。まき網は漢字では旋網と書くのが正解だそう。朝方水揚げされたマアジは一尾一尾ていねいに締められて「伊達あじ」に変身する。

「締め方? それは教えられんよ。企業秘密やもん」はははと笑う岡崎さんに食い下がり、それは刃物を使うものでもなければもちろん薬品なども使わない、とそこまでは聞けたが詳細は不明。探偵失格のそしりを受けそうだが、こちらの本業は魚の名前を聞き出すことですからと開き直って本題に入ろう。

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宇和海に日が沈む。西向きに開けた宇和島は夕日の美しい港だ。手前の船は養殖エサの運搬船

マアジはヒラアジである。伊達あじになるのは春にとれる80g前後の二年魚で、これより小さいものをコアジ、さらに小さい当歳魚をゼンゴという。マルアジはマルコもしくはアオコ。これは大小を問わず、立派な成魚にも「コ」が付く。

どうやら宇和島の魚たちはあまり出世はしないらしい。成長につれ呼び名が変わる魚は各地に多いが、ここでは前記のマアジをのぞけばほとんどそういう例がない。たとえばマダイは大きくても小さくても単にタイ、スズキもスズキ、ボラはボラ。それではブリはというと、ああこれは小さいのをヤズ、キロを超えるようになるとハマチになりますねというが、そこでおしまい。最近でこそブリとの呼称も使われるようになったが以前はだれもそんな名を使わなかった。7kgになっても8kgになってもハマチの先はなかったというのだ。

カンパチの小型をソジ、サワラはサゴシ、あと磯魚のアイゴが「ゴ」付きの幼魚から成魚になってアイと「ゴ」が取れる…聞き取りを終えたノートをひっくり返しても、たったこれだけしか出世魚が見つからなかった港は珍しい。

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すっきりわかりやすいそれらの呼び名の一方で、まったく理解に苦しむ呼び名もある。スルメイカにケンサキ、マツイカの3種のイカだ。これ、スルメイカはスルメイカではなく、ケンサキもケンサキイカではない。宇和島ではマツイカと呼ぶのがスルメイカで、スルメイカというのはケンサキイカのこと、そしてケンサキとはヤリイカの呼び名だというのである。


神谷

福岡萬一郎さん

今回はお父さんも神谷の漁師だった福岡さんのお宅にお邪魔した。昭和11年生まれの福岡さんは若いころはマグロ船にも乗っていたのだそう。その後はおもに由良沖でサバの一本釣りをされていた。

岬の北のタチオと 目玉の小さいサバと 海の子と仏様のチンコ!?

「タチオら、年中あらよ」
「あるある」
タチオとはタチウオ。和歌山県日高郡由良町。神谷(かみや)ではこの魚に「ウ」の字は付かない。

「タチオはねえ、稲刈る時分がええていうたもんやけどよ。あんまり旬いうのなしに、新しいのんはおいしいわな」
「ほんでもねえ、南へ下ったらあかな。脂がない」

今回の聞き取りに協力してくれたのは71歳の福岡萬一郎さんと69歳の山田勝太郎さん。いずれも神谷の漁師の家に生まれ、漁師を継いだお二人だ。 由良湾には年中タチウオがいる。いつ食べてもおいしい魚だが、それはここで釣れるものに限る。日ノ岬(ひのみさき)より南の海域ではそうはいかない、脂の乗りが違うという話になった。紀伊半島の西端から紀伊水道に突き出る日ノ岬は、和歌山の海の、いわば分水嶺になっている。

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神谷漁港は由良湾の右岸とば口に位置する。蟻島や沖の一文字への渡船のベースとしてぼくらもなじみの港だ

「わいら、本潮(ほんじお)ていうんやけどねえ、黒潮の支流が反転してきたあるやろ、あいが日ノ岬に当たって跳ね返るんやなあ」

分岐流はそれ以上北に進入することはなく、おかげで岬の北と南とではくっきりと海の様子が変わる。北は大阪湾・瀬戸内海から流出する比較的低温の海水の影響の濃いエリア、南は温かい黒潮エリアだ。岬を回ればはっきりと水温が高い。水温が高い場所に住む魚は、それほど身に脂を蓄えなくても「活(い)かって」いられる。

タチオら身ィ薄いさけねえ、そら敏感なもんやよ、と肩をすくめていかにも寒そうな仕草をしてみせるお二人の様子は、なるほどそういうものかと納得するに足る説得力にあふれていたのだった。

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タチオ=タチウオの食味の話のついでに、おいしい魚とそうでない魚との簡単かつ確実な見分け方を教えてもらったのでご紹介しておこう。それは「目を見る」というものだった。一般にいわれるようにその輝き、澄み具合で鮮度を見るわけじゃない。問題は目の大きさだ。体格に比してできるだけ目玉の小さいものを選べば、その魚の味は間違いがないという。

たとえば単にサバと呼ぶマサバだ。お二人とも、サバ釣りを中心にして生計を立ててきた。蟻島(ありしま)沖から紀伊水道の真ん中にかけての漁場で夜ごとサバを釣った。それは一晩で何百という数になったが、その顔は「いっこいっこ、みな違う」という。そのなかで、目が小さくて、背のきめが細かい(模様が密な)魚を選って食べる。

「昔の漁師は売れる魚はみな売って、あが(自分が)食べるんはなんでもかまんていうたもんやけどねえ」
いまは一番おいしいのを家に持って帰ってると笑う。

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聞き取りには漁師仲間である山田勝太郎さんにもご協力いただいた。山田さんは69歳、お二人は中学卒業後一緒にマグロ船に乗ったという幼なじみだそう。国道42号「里」の交差点から由良へ走る県道沿いは桜の花が盛りだった

ところであんた、サバを釣ったらどうしてる? と逆に聞かれた。それはもちろん、すぐに締めて、潮氷でしっかり冷やしますと自信満々で答えたら、お二人はにやりと顔を見合わせた。

ええ? これが最上じゃないんですか? そう。最上じゃない。サバは、釣ってすぐ氷に当てたものより、おおかた半日船の生け簀で泳がせておいてから締めたものの方がうまい。

その方が身に脂があるのだとは初めて聞く話だったが、「あがら、サバくて大きなったんやさかい」というお二人である。ここは素直に拝聴すべし。われらには釣ったサバを何時間も泳がせておくスペースがないのが問題ではありますけどね。

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さてさて。筋金入りの漁師もかつては少年だった。釣ったり突いたり素手で捕らえたりの海の遊びのなかで、自然に覚えた魚たちの名前に、今回も面白いものが多かった。いきなりでなんだがホトケノチンコなんて、いかにも思春期あたりの子どもが喜びそうなネーミングじゃありませんか。標準和名キヌバリである。ピンクとオレンジの中間のような地肌に、くっきりと黒い帯が美しいハゼ科の小魚である。

実は「ハゼ」とは、その姿形が玉茎(はせ)、男茎(おはせ)つまりおちんちんに似ていることに由来する命名なのだそうで、たしかにこの類にはそのものずばり系の呼び名が付けられている例が少なくない。「キヌバリいうんか、初めて知ったわ」がはははは、と笑うお二人にとって、この魚は70年間も仏様のナニだったのかと思えばおかしくて、こちらもつい大笑いしちゃったのだが、バチが当たったりしないでしょうね。


鞆の浦

當田恵二さん

鞆の浦漁協組合長の當田恵二さんは昭和7年生まれ。鞆の浦に続いた家系の二十一代目なのだそう。いまも現役だが漁場に恵まれたここでも近年は漁で暮らしを立てていきにくくなっているという。

セエやハネならいいが ドドのつまりは不吉 嫌われたスズキ老成魚

「どどのつまりいうじゃろう。これは縁起の悪い魚とされたもんじゃ」いいながら、當田恵二さんが指す図鑑の写真は、まったく意外なものだった。

え? スズキですか?
「これが大きゅうなるとドドになる。死に損ないじゃ」

広島県福山市鞆の浦(とものうら)。瀬戸内海のど真ん中に突き出た沼隈半島(ぬまくまはんとう)の先端に位置するこの港でもスズキはやっぱり出世魚。成長につれ呼び名が変わる。小さいものから順にセエゴ、セエ、ハネ、スズキとここまではぼくらのなじみの呼び名に近いが、さらに老成するとドドになるとは初めて聞いた。しかも、それが忌み嫌われた魚であるというのに驚いたのだった。

「とどのつまり」という。その語源はボラの老成魚の呼び名である「とど」に由来するとされる。一方で「どどのつまり」と濁る言い方もたしかにあるようで、それは単なる誤用なのかと思っていたが、実はそうじゃなかったのか。結局。畢竟。物事が思わしくない結果になったときに使われる言葉である。鞆の浦のドドは不吉をもたらすとされたという。

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毛利元就が築城した鞆城跡に建つ鞆歴史民俗資料館からは漁港が一望できた

「浮いて流れるのが秋なんよ。大きゅうなって死にかけとるのんがなあ。そら見事なもんじゃが鞆の漁師はだれも拾わん。知らずに拾うて帰ると流行病にかかったり、家族が事故におうたりするいうてのう。周りの者がボーンと海へ捨てたもんよ」

若魚時代のセエやハネは、上品な魚としてよい値が付いたがドド級の大物はだれもが触れるのもいやがった。「さわるな、さわるないうて」と顔をしかめて手を払う當田さんの仕草が真に迫り、これはこの先オレのトラウマになっちゃうかも、なんて思ったりしたのだった。

「とど」の方のボラは、ここではまったく出世をしない。小さくても大きくてもただのボラである。なので別段嫌われることもなく、寒期の魚は臭みもなくおいしいと喜ばれた。それとは反対に真夏が旬とされたのはメナダ。これの小型をイナと呼び、一貫目(3.75kg)以上の大物は唇が真っ赤に色づくことからヒクチと呼ぶ。ヒクチはあらいがいける。川の色が変わるぐらい大量にいるイナは昔から値が付かなかった魚だが、戦時中は農家の人が大量に求めたという。農耕牛に食べさせたのだそうだ。当時、栄養価の高い飼料がほかになかった。

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さて。お待ちかね。プロの漁師の食の話はいつも楽しい。牛はさておき、ヒトが食べる魚については今月もまた、おお、そうだったのかと膝を打つ新知見がたくさん得られた。たとえばね、こんな話はどうです?

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防潮堤の前の護岸にはシート掛けの出店が並び、瀬戸内の魚介を物色する観光客の姿が見られた。頭を落とし串刺しで干されているのはウシノシタ類。鞆の浦でゲンチョウと呼ぶ泥底に住む種。砂地に住む黒っぽいウシノシタはシャクリゲンというのだそう。これとサヨリの一夜干しがこの時期のメインのようだった

「大きい魚はなあ、いっぺん食べたらもうええぞ。大儀(たいぎ)なあ。ほじゃが、小魚なら十日続けてでも食べられる」

ううむ。まさに金言とオレは深く納得しちゃったのだが。

この言葉が発せられたのは、図鑑のページがハゼ科にさしかかったところだった。シロハデと呼ぶハゼの代表、マハゼを指したわけじゃない。これは本当は夏魚、冬はやせて骨と皮ばかりじゃとあっさりいなし、その写真の下の方、アカハゼに行き当たって當田さんの頬がゆるんだのだ。呼び名はブッツージャコもしくはブッツーハデ。シロハデとは逆に、寒い時期の子持ちが特上というこの小魚、鞆の浦の漁師の大好物だそう。頭だけをポンと落として煮る。焼き干しをお茶漬けにすると、おいしい出汁が出る。ほか、ドウブツハデと呼ぶウロハゼもいい。マハゼに似るがウロコが粗く厳つい顔つきのこのハゼは、昔は細い竹を切って数珠つなぎにしたのを海に沈めてとった。いまならジュースの空き缶などを沈めてもいいと笑う。

キス釣りの外道などに掛かり大口で指にぱくりと食いついてくるイトヒキハゼはトラハデ。小さいくせに、虎のように気性の荒いこいつは「干して、かたかたにして佃煮、昆布巻きの芯にも」した。かつてエビ網に大量に乗った魚だが、最近はそれほど多くないという。

ほか、ギギと呼ぶヒイラギは「魚食い」じゃなければ食わない魚、網からするりと抜けてしまうことからヌケイチというギンポもおいしい魚で、これは鍋にする。腹も出さずにそのまま丸ごと鍋に放り込むと硬い音がするのでナベタタキという別名もあるのだそうだ。


庵治

岩国昌二さん

昭和31年生まれの岩国さんは、庵治漁業協同組合の競り人。備讃瀬戸のとば口に位置する半島を取り巻くように大小の島々が点在する庵治は漁場に恵まれ古くから漁の栄えた港だそう。季節ごとの多様な魚介をさばいて20年。魚を見る目はプロ中のプロなわけですね。

高級ウキソにアブラ タモを手に待ち受ける満月の夜のモブク

「まてよ。こいつ。こいつなあ…うーん。なんて呼ぶんだったかなあ」目を細めて読み取る標準和名はヒメオコゼ。

「オコゼ? いや。ここらじゃオコゼとはいわんぞ」

うんうんうなる岩国さんに、ショウちゃん、どうしたと部屋の一方で談笑していたお仲間の声がかかる。この魚の名前が思い出せんのよ、と指さす写真をどれどれとのぞき込む。

ああ。これか。
おお。おるおる。
突いたら痛いな。
炊いたらうまいぞ。
わしは汁がええ。

来る日も来る日も海に出るプロの漁師たちである。もちろん全員がよく知っている。しかし、その名が出てこない。

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皇子神社からは庵治の町並みを一望できる。四国本土最北端の漁港は島山に囲まれて静かなたたずまいだった

底曳き網に入る売り物にならない雑魚。現実にそこにいて、語るべき特質をいっぱい持ってる小さい魚の名がまたひとつ忘却の彼方へ行っちゃった。

なおも写真を見つめ続ける岩国さんに、使い古しでよければその図鑑、差し上げますというと、いいのかと顔をほころばせてくれたのだったが、この先この魚、図鑑に記載された標準和名通りに呼ばれるようになるのだろうか。

ここは香川県庵治(あじ)。瀬戸内海に突き出した半島の先端に位置する港だ。聞き取りに協力してくれたのは漁師仲間からショウちゃんと呼ばれる岩国昌二さん。20年にわたって庵治漁協の競り人を務める人だ。平日の昼下がり、漁協事務所のストーブの周りでは、一仕事終えた漁師の皆さんがくつろいでいた。

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ヒメオコゼ以外の、小型の刺毒魚たちの名はすらすらと出てきた。ハオコゼをカナクリ、ゴンズイをギギ。瀬戸内ではたいていどこの漁村でも、この3種が「刺されると痛いヤツ」の代表であり、そういいながらけっこう喜んで食べちゃうのが面白い。厳密には、サイズが小さすぎるハオコゼはそのまま捨てられることが多いのだが、冒頭のヒメオコゼがおいしいという話は家島諸島・坊勢島や泉南谷川でも聞いたし、ゴンズイの味については、淡路島の漁師も太鼓判を押していた。

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聞き取りは庵治漁協事務所をお借りして。昼下がり、ゆったりくつろぐ漁師衆が飛び入り参加してくれた。下は組合事務所に隣接する競り場。今はガランとしているが床面いっぱいにトロ箱が並べられる朝の競りは活気に満ちる

庵治のゴンズイ=ギギのおすすめ料理法は煮付けだそう。脂ののった腹の周りが特にコクがある。赤いキモの味はたまらんで、という岩国さんだったがこの魚、庵治なら売れるが車でほんの30分の高松では売れないという。市街地のスーパーでばかり買い物をしていると、本当においしい魚には出会えずじまいになっちゃうのかもしれない。とかいって、われらの竿に掛かってくるゴンズイを持って帰って食ってみようとはちょっと思いませんけどね。

瀬戸内沿岸なら都市部でも漁村でも同じように評価が高いのがメバルにアイナメ。庵治ではメバルをウキソまたはオキソ、アイナメをアブラと呼び、どちらも春4月から5月にかけてが一番おいしい時期だという。近海にわくイカナゴを飽食して丸々と肥える。岩国さんが采配する競りで、ウキソはキロ2500円から3000円、アブラは同じく3000円から4000円の値が付く。ところが、同じメバルでも浅場の藻場につく全身が赤っぽいやつ=ガラメバルは半値以下、レンゲスゲと呼ぶアイナメの近縁のクジメは「ぷんと癖のあるニオイがするのを嫌うて」買い手が付かないのだそう。スゲとはアイナメの小型の呼び名でもある。

クロダイの呼び名は関西と同じくチヌ。手のひら級の小物はチンゴ。昔、寒の時期のチヌはキロ2000円の値が付いたこともあったがいまは安い。キビレと呼ぶキチヌはさらに値打ちがなく、売り物にならない。カサゴはアカンコまたはアカジャコ。これはメバルとは対照的に秋が旬。秋といえばかつて川筋にたくさんいたシロバゼ(マハゼ)は近年激減した。カワウに食われてしまい、めっきりいなくなってしまったという。


郡家

森田幸三さん

釣り好きが高じて乗合船・郡家丸をはじめたという森田さんは昭和23年生まれ。本文の通り子どものころから自分の船で四季の魚を追ったが沼島の寒チヌ釣りに狂い月に20日も通い詰めた時期もあったそう。

ナキリの醤油炒めに ググ味噌鍋ヒメチ寿司 そそられる郷土料理

「どうしても船がほしい、船をこうてくれいうて親父にせがんでね、こうてもろたんが小学校1年のときや。そらうれしいてね、夏休みなんか毎日朝から晩まで海やがな。櫓ォ漕いで釣りばっかり行っとった」七つのときにはこんなスズキを釣ったで、と両手を広げてみせる森田幸三さんは、淡路島の西海岸をテリトリーとする乗合船・郡家丸の船長である。

小学1年で自分の持ち船、それはもちろんうれしかっただろう。森田さんが郡家に生まれたのは昭和23年だというから小学校に入ったのは29年か。そんな小さい子どもでも、自分の船で海へ出ることが許された、おおらかな時代だった。

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浅く潮通しのいい淡路島西浦ではノリの養殖が盛ん。冬場、室津あたりの地先にはたくさんのノリ棚が設置されている

「中学、高校になったら、もうそこらじゅう船に乗って行きよったで。とにかく子どものころからの釣り好きやわ」

がはははは、と笑う森田さんに釣りの楽しさを教えたのは友だちのお父さんだったという。小学校の校長をしていたこの人が四つか五つのころの森田さんを波止へメバル釣りに連れて行ってくれた。これがむちゃくちゃ楽しかった。えらいもんですね幼い時期の「刷り込み」。人生を方向付けちゃうほどの力を持つのかもしれない。釣り好きが高じてはじめた郡家丸の、メバルはいまでも重要なレパートリー。森田船長の超得意種目になっている。

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そのメバル、郡家ではメマルと可愛らしい名で呼んだ。目が丸い。普通のメマルと全身が赤っぽいキンメマルの2種が見られ、鳴門へ近づくとやや大型で青っぽいのもいた。それぞれ味が違う。食べて上等なのは「どん丸こいて真っ黒」なやつ。キンメマルはやや格が落ち、青はずっと落ちるという。

「メバルってねえ、この家やったらこの家に、じっとおるもんやと思うやん? あれ、わし違うと思うけどな」かなり頻繁にすみかとする根を移動しているんじゃないかと森田さんはいう。大きなナブラ(群れ)をつくって海面近くに浮き、潮に乗ってベタベタと流れていくのを見たことがあるという。ある日いっせいに引っ越ししていったりするのだろうか。

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子どものころから慣れ親しんだ地元の魚の呼び名も、乗合船船頭としてよそからのお客を迎える立場になると使う機会が減る。使わない言葉は忘れてしまう。「うーんこの魚、なんていうたかなあ」としばし視線をさまよわせたりして…

メバル釣りにはおなじみの外道、カサゴはガシラ。こいつはすみかの水深によってはっきり体色が違う。同じ種だが色の違いは食味の違いにも通じ、深場にいる赤味の強いものはだめ、浅場にいる黒い方がはっきりおいしいという。仲買が付ける値段も2割は違うのだそう。

メバルやカサゴは数は昔と比べ減ったとはいえまだたくさんいる。森田少年が持ち船を漕ぎまくっていた時代から、めっきり少なくなったしまったのがタケノコだ。タンポ(港)周りの石陰にたくさんいたタケノコメバルやムラソイである。ため池でとってきたエビをエサに穴釣りでよく釣れたおいしい根魚だったが、いまはほとんど姿を見ない。アコと呼んだキジハタはいまもちょくちょく掛かるがキロ8000円もの値が付く超高級魚になった。

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クロダイは手のひらまでの小物をババタレ、大きくなるとチヌ。森田さんの少年時代、これはタイ(マダイ)に次ぐ魚だったという。夏場は安いが身の締まる冬場はタイより高値が付くこともあった。冬場がいいといえばボラ。若魚をイナと呼ぶこいつはかつて、寒の時期のすき焼きが人気だった。ボラの切り身に合わせる食材は、水菜とこんにゃくと決まっていたものだそう。ほか、ボラの身をすり鉢であたり、同じくすり下ろした山芋に和え、熱々のご飯にのせてカツオ出汁でいただく「さつま」も絶品、好きな人はどんぶりに二杯も三杯も食べた。これはアカシタと呼ぶオオシタビラメでやってもいい。「刻みネギと青ノリをかけてね、そらうまいもんやで」とどんぶり飯をかきこむジェスチャーの森田さんに、思わず蛇似のボラのご面相も忘れそうになったりして。

そのボラとそっくりなメナダはだれも食べない。目の縁が赤いのでアカメと呼ぶこいつはタンポの中にもよく入ってくるがにおいがきつい。身がくさいとボロカスだ。


小島

山原學さん

昭和19年生まれの山原學さんは小島漁業協同組合組合長。祖父の代から三代目の漁師として最初は一本釣りで、後に刺し網、定置網漁にも手を広げ近海の魚をとってきた。昭和53年遊漁船業を開始。小島丸船長。

おせん殺すな馬殺せ ガンドは嫁に食わすな地魚にまつわる警句

えへん。うほん。
「いや、風邪とちゃうねん。夕べ食うたバリコの骨がのどに刺さったあるんよ。家族のモンが電池照らしたらあるあるて。割りバシ突っ込んだらえづいてねえ。医者行けいうねんけどまあ、そのうち取れよるやろ」

バリコとはアイゴの若魚である。大きくなるとアイ。ヒレの棘に強い毒を持ち、刺されるとひどく痛む剣呑なやつだが、身肉の味はいい。紀伊水道をはさんで両岸の和歌山県と徳島県の人たちのアイゴ好きはよく知られている。和歌山県では一夜干しが、徳島県では「皿ねぶり」とも表現される煮付けが特に好まれると聞いたことがあるが、ここ小島あたりは、この魚を普通にご飯のおかずにするエリアの北限といっていいかもしれない。泉南郡岬町は大阪府の最南端。友ヶ島水道を抜けて大阪湾内に入るとアイゴは少ない。

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小島漁港大波止。潮通しがよく年間を通じて多彩な魚種が狙える人気スポットだ

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おじいさんは漁師、お父さんも漁師。そのお父さんからこの先は釣り漁で食っていくのは難しい、学校をおえたら陸で働けといわれ、しかし釣りが好きだから反対を押し切って自分もやっぱり漁師になったという山原學さんは小島漁協の組合長。乗合船小島丸の船長というもうひとつの顔を持つ。ずっと小島の魚と付き合ってきた人には、たかがアイゴの骨ごとき、なんてことはないのかもしれない。

「そやけどオセンには気いつけよていうわなあ。わいらもねえ、あれはオセンゴロシやぞいうて親に教えられた」

ご存じスズメダイである。その昔、この魚の骨がのどに刺さっておせんさんという人が死んだのだという話は、これまでも紀伊半島沿岸のいろんな漁村で聞いた。おせんを殺したのでオセンゴロシ。これはどうやら当地方の海辺に住む一定以上の年齢の人にはすごく有名な逸話らしいのだが、そのおせんさんの生地を聞いてはっきりとした答えが返ってきたためしがない。こんなたずね歩きを重ねていけば、そのうちいつか、たどり着けるだろうか。

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今回の聞き取りは小島漁港内の組合事務所で。大型乗合船小島丸の船長でもある山原さんは組合長を7期務めている。釣り客を見送ったあとは、谷川の組合と協同ですすめている間伐材を利用した魚礁造りほか漁場の整備事業に忙しい日々なのだそう

スズメダイは小さい魚だが骨が硬い。小さいくせに脂がよくのってたいへんおいしい。5月の子持ちのころはボテボテに肥えて、煮ても焼いても脂がしたたる。山原さんの少年時代、「おせん殺すな馬殺せ」というはやし文句があったそうだ。大声で唱えて遊んだ。なんで馬を殺すのか? さあなあ、なんでやろと笑う山原さんだった。

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そんな子ども時分、港の石垣についていたガンガラ(コシダカガンガラ=巻き貝)を割り、中の身をハリに掛けて釣って遊んだのがヌグト。キヌバリである。橙色の地肌に黄で縁取られた黒い帯。港内の浅場でゆったり泳ぐこいつはよく目立ち、格好のターゲットとなったものだがいまはその姿をほとんど見かけない。同じ横縞系のイトヒキハゼには体の割りに口が大きいことからオオカミジャコというやたら立派な名が付いていた。真っ黒なドロメは藻の上に乗っているのでモウオ。ハゼ科の代表種であるマハゼはカワハゼでクラカケトラギスをトラレと呼んだというのは「トラハゼ」の転訛だろうか。もちろんクラカケトラギスはトラギス科の魚であり、ハゼじゃないのだが。


赤崎

細山田忠信さん

昭和14年生まれの細山田さんは、国道8号沿いの赤崎釣具店店主。釣り好きが高じてこの場所に店を開いて40年になるという。越前海岸への入り口という立地条件にあって、磯釣りファンのガイド役を務めてきた

イサザが好物メバチ アカラが付けば高級魚 川鯛はお呼びでナシ

「笙の川(しょうのかわ)では漁師がとるんだけどなあ。ほかの川じゃみんな勝手にやっとるよ。だれも文句をいったりせんなあ」

福井県敦賀市赤崎。国道8号沿いで赤崎釣具店を営む細山田忠信さんはそういいながら、棚の上から自作のカゴ(もんどり)を下ろして見せてくれた。

春、敦賀の川にはイサザがのぼる。躍り食いが珍重される標準和名シロウオだ。笙の川ではこれをとる漁が行われるが、そのほか杉津までの間に何本もある小さな流れ込みには本職の漁はなく、地元の人たちがめいめい自分でこしらえたカゴを沈める。細山田さんのそれは、40cmに50cm程度の箱型で、その側面中央に直径5、6cmの塩ビのパイプを取り付けたものだった。

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春、敦賀湾に流れ込む細流をのぼるイサザをとるカゴ。細山田さん作は箱型だったが、それぞれ自分のお好みの形があるそうだ。側面の塩ビパイプがイサザの入り口。これを川下に向けて沈め、両サイドに目の細かい網を張って川をさかのぼってくるイサザの群れを誘導する。もちろんいったん入ったイサザは出られない

「このパイプから中に入るんだ。両側に張った網を伝ってきてね。川下に向かって漬けておいて、放っておくの」

食用としてのイサザは、実はそれほどおいしいものじゃないのだそう。たくさんとれても飽きてしまう。おすそ分けもたいして喜ばれない。これを一番喜んで食うのは人間よりもメバルだったりする。

「だもんで、これをイサザメバチと呼ぶんだ。いや、イサザの時期だけじゃない。年中そういっとるよ」

全身が赤っぽいメバルはキンメバチ。沖にいるトゴットメバルはハチメと同じ3文字の並びが変わる。あともう一種、アカラメバチと呼ぶのもいるがこれはメバルじゃなくキジハタだ。関西でいうアコウである。単にアカラともいうこれは必ずつがいでいる。1尾釣れたらもう1尾釣れるという。

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カサゴは大阪あたりと同じくガシラだそう。食味は悪くないがそれほど大事にするわけでもない沿岸の普通種。だいたいこれに似たような姿の魚はガシラですませてしまうことが多い。「テトラ帯や魚礁にぎょうさんいる」クロソイや、ムラソイなどもひとくくりのガシラで二束三文の扱いだが、沖で釣れる赤みの強いウッカリカサゴは別格。アカガシといい、これはおいしいという。大きいけれど、味が悪いとのクロソイ評はうなずけるが、ムラソイはうまい魚だと喜ぶ地方が多いのだが。敦賀から越前海岸にかけては根魚の宝庫。それなのでありがたみも薄いのかもしれない。

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発電所の温排水が循環する敦賀港内ではアジが生まれ育ち、また繁殖している? 周年姿の見られる小アジを追って近年はサワラがとみに増えたという

ありがたみが薄いといえばクロダイ。手のひら級の子をチンコロ、やや大きくなってチンタ、成魚を川にいるタイということでカワダイ(カウェダイと訛るのが本式とか)と呼ぶこの魚の別名が、なんとクサレダイとはおいたわしや。多くのファンが目の色変えて追いかける人気ターゲットも地元では、飯粒でも釣れる魚とてんから相手にしないそう。キチヌはほとんどいない。黒いタイ科御三家のもう一種、銀白色のヘダイはシロダイという。

赤いマダイはタイである。幼魚をコダイと呼ぶ例もあるがたいていはサイズによらず単にタイという。キダイをレンコダイというのは若狭地方でも同じだが、チダイをメンカとは初めて聞いた。由来は不明、なんなんでしょうね。


唐尾

ヤハギにコンペントウ おいしい雑魚たち 獅子頭のムシマも上等

谷口捨次さん

大正8年生まれの87歳とうかがって驚いた。話のテンポも速く背筋もピンとして、まったくそんなご高齢には見えない谷口さんだ。漁師生活をはじめたのは終戦後の昭和21年からということは…この道60年!

つやつやと青い実が重く垂れるミカン畑の向こうに広がる干潟に、無数のカモメがじっと立ちつくしていた。音もなく降り続く雨が小さな波紋を立てるばかりの港には、動くものもない。なにもかもが息をひそめているような静かな秋のはじまりだった。夜通しクルマを走らせて、息せき切って船に飛び乗りまた降りて、充実しつつへとへとになって帰ってくる休日が大好きなぼくらだけれど、こんな雨の午後は柄にもなく感傷に浸ってみたりなんかして。

日々の暮らしの中心に港がある。その港の真ん中に恵比須神がまつられている。台風の大波で流されてしまったという以前の祠(ほこら)と同じ位置に、いまはしっかりとしたコンクリートの祠が建っている。和歌山県有田郡広川町唐尾(かろ)は底びき網とシラス船びき網漁を主体とする漁港だ。

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堂々とした水門が目を引く唐尾漁港。かつて高波が押し寄せ、港内に祀ってあったえびす様が流されてしまったことから新たに建造されたものなのだそう

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「土地の魚の呼び名? それなら谷口さんやね」快く唐尾漁協が紹介してくれた今回の証言者は谷口捨次さん。大正8年生まれ、87歳の現役漁師さんだ。一本釣りと建網漁を主に、ずっと唐尾の魚をとってきた。「もう歳やさけねえ、半分隠居よ」と笑う谷口さんに、「なんのタチイカ名人、センセイじゃ」と傍から声がかかる。タチイカとはアオリイカ、昨晩も船外機でカタ(餌木)を曳き、四つ五つ上げたのだそう。厳密には、タチイカと呼ぶのはキロオーバーの大物で、秋のこの時期に釣れる中小型はモイカと呼ぶ。モイカ=タチイカは自分が食べる。四つ五つも釣れば十分だ。

アオリイカはいうまでもなく、漁師が自分の家で食べる魚というのは、本当においしい魚であることが多い。

漁師にとって、魚は商品である。釣り上げることそれ自体を目的とするわれらアマチュアとは違って、とっても売れなきゃ話にならない。旬の魚を狙って網をひく。本命にまじってさまざまな魚が入る。単品でもよい値がつく魚を選り分け、その他の雑魚は自分で食べるか海へ返してしまう。

値がつかないのは味が悪いせいと決まったわけでもないんだなあ。モノが小さい、量がまとまらない、一般には調理法が知られていないなど、そこにはさまざまな理由があるのであり、それらは自分の家で食べるにはまったく問題にならない。市場には出回らない雑魚にもたいへん味のよいのがいる。漁村ならではの、そういう食味を聞き出すのも、このたずね歩きの密かな楽しみだったりして、おかげでいまや、わが家ではスズメダイやミナミハタンポなんて大歓迎だもの。

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谷口さんが使うタチイカ釣りの「カタ」はわれらアマチュアの餌木よりはるかに大きく無骨。漁師仲間が名人と呼ぶ人が手にすれば、コレ一本で、キロオーバーのタチイカなんていくらでも釣れちゃうのだ!?

「スズメダイ? ああヤハギか。小さいけど身ィそのもんはうまい魚やな」ええ、その通りですよね本当に。
    
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一本釣りでイサギやマダイを釣っていると掛かってくるのがサクラダイだ。赤い体に白い斑点がきれいな小魚だが、こいつは「キリキリ舞いして糸にヨリをかけてしまう」やっかいもの。唐尾での呼び名はコンペントウで、これは色鮮やかな砂糖菓子、金平糖にちなんだもの。やっかいな外道なのにこんな可愛らしい名が付いているのは「食べたら味はええ」からか。同じく外道のイッテンアカタチも絶対市場には出回らない魚だ。アカダチと呼ぶこれも釣れたら喜んで食べる。刺身でも、火を通してもおいしい。

底びき網に入る魚ではヒメジだ。アゴの下に一対の黄色いヒゲを持つこの小魚は型がよければにぎり寿司、小さいものは天ぷらが最高。大きいといってもせいぜい15cmほどだが、大事に持ち帰る。標準和名ヒメジをそのままヒメジ、ヨメヒメジをイソヒメジと呼び、どちらも食べる。ちなみに、磯周りにいるこの類の大型種、オキナヒメジはメンドリで、こいつも味は悪くない。ほか、ムギワラエソと呼ぶトカゲエソも小骨が多くて調理は面倒だが身の味はいい魚。ゲンナエソというオキエソは「どもならん」のでリリースを。「獅子頭(ししがしら)みたいな顔や」という表現に思わず笑ったミシマオコゼも煮付けにすると身がコロコロしておいしいそうだ。唐尾の獅子頭はムシマと呼ばれる。


里波見

今川初衛さん

昭和23年里波見生まれ。おじいさんは定置の網元だった。自身は学校卒業後10年間酪農と漁業を兼業、定置網漁をしつつ和牛を飼育していた。その後海の生活に絞り、昭和59年からは遊漁船業をはじめた。

赤と黒とじゃ大違い 結納にはホオボオ持参 スター釣魚も形無し!?

赤には魔除けの意味があるとされるのだそうだ。神社の鳥居は赤い。お地蔵さんのよだれかけが赤い。だるまも赤い。古くからのそういう伝統に従って、それらよりもずっとアグレッシブな現代の魔除けもきっちり赤に統一されている。ウルトラの兄弟を見るといい。この世のものとは思えぬ邪悪な怪人たちから地球を守る戦隊ヒーローのリーダーも決まってレッドだ。それでは緑のバッタ色の仮面ライダーはどうなのかとの議論もあろうが、あれはもともと悪の秘密結社ショッカーの戦闘兵器となるべく造られた改造人間だったのだから話が別なのだ。

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秋の丹後は一年でいちばん気持ちいい季節。里波見の海岸から少し登ったところには府立の自然公園があった。豊かな自然に恵まれた里なのだ

赤はいい。赤はめでたい。ハレの日には紅白の幕を張り、紅白の餅を配る。日の丸だって白地に赤である。そういうわがニッポンの民俗学的風土に根ざして、魚も赤いと喜ばれる。このごろはどこの港でも値くずれが激しいと嘆き節が聞かれるマダイだが、それでもやっぱり魚の王。腐っても鯛。慶事には欠かせない。里波見(さとはみ)ではこれをアカダイと呼んで大事にした。

「そやけど自分らが使ういうことはなかったですな」昔は高級な魚でしたから、と今川初衛さんはいう。
 
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京都府宮津市。丹後半島東岸の中間付近に位置する里波見で祝い事に使われたのはホオボオだった。これもやはり鮮やかに赤い魚だ。標準和名ホウボウは鰾(うきぶくろ)を振動させて鳴く。その音が名の由来になったとされるが、ここではホオ、ボオと聞こえたらしい。

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海と星の見える丘公園から穏やかな宮津湾を望む。里波見には波見川という小さな川が流れており春3月から5月にかけて、シロウオがたくさんとれたそうだ。地元ではこれをイサザと呼んだ。この地のイサザ漁は夜間、川の流れをせいてその両サイドに設置した金網のカゴで受けるというやり方で、一日に何斗も上がったもんですわと今川さんはいう。姫路から活かしで買いにきた。ワタシらももちろん食べたが、味もなにもない、そないおいしいいうようなもんやなかったけどなあと笑う。10年ぐらい前までは、遡上の季節になると川の両岸の色が変わるほどの大群がやってきたものだったというが、近年はすっかり減った

「タイは売らなならんでねえ。その代わりにしたんやろと思うわ。嫁取りなんかでね、結納おさめに行くでしょ。そのとき酒の樽にこれをぶら下げていっとったなあ」えべっさんやお稲荷さんへのお供えにも使われるこれは、たいへん縁起のいい魚だという言葉に、四国の三本松で聞いた話を思い出した。あちらではホウボウによく似たカナガシラを赤ちゃんのお食い初めに使うのだとのことでしたよ、と今川さんに伝えると、へえ、なんて感心したりして。ここでもカナガシラはよくとれるが、ホオボオとは別物、これを祝いに使うことはないという。呼び名はバチ。「先が太うて握りが細い」その体型から太鼓のバチになぞらえた名だそう。なるほど、あのかちかちに固いアタマなら、いい音が出そうですね。

縁起のよい赤に対して、里波見で喜ばれなかったのは黒。その代表がクロダイだ。里波見にはもともとチヌという呼び名はなく、和名通りのクロダイと呼ぶのがまあ普通だそうだが、クソクイとの蔑称もあるという。糞尿にたかる。食べられたものじゃない。メジナもいけない。ツカヤと呼ぶこの魚は腹腔まで黒い。腹黒い。いまでこそ、そこそこの値が付くが、昔はとても売り物にならなかった。

チヌにグレ。われら釣り師のスター釣魚もさんざんである。「ツカヤは台風の後、小型定置に何千も入ることがあるなあ。こんなもんがどこから回ってくるんだと思うほどだ。それも35なら35(cm)、40なら40と物差しで測ったような魚がそろっとるで」おお。浮きグレ。この次そういう群れが入ったら、ぜひぜひお知らせ下さいね。


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